古事記より詳しい口碑、日本の国造りから見える精神文化

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大淡上方様による国造り

原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版より

日本人のルーツや日本の起源について、飛騨の山の奥深い所に先祖代々口碑として伝わっていたことをご存じでしょうか?

古事記』や『日本書紀』は、神話化されおとぎ話のように書かれているため、何処までが史実かが分かりにくいです。

しかし、飛騨に伝わる口碑は、古事記や日本書紀よりも具体的現実的な史実として語られています。

世界最古の国であり二千年以上も一つの国家として続いていることは人類の奇跡と言う人がいます。

ところが、飛騨に伝わる口碑によると奇跡で二千年以上続いたのではなく、上方様(うわかたさま)を中心として皆がまとまり国を侵略から護ってきたから今の日本の国があると解りました。

日本人が知らない、日本人のルーツを飛騨に伝わる口碑から紹介します。
口碑を知ったあとで古事記を読むと古事記のボカされている所がわかります。

なぜ、おとぎ話化して史実をボカすのか?
その理由を「古代被差別部落とは」のカテゴリーとしてまとめました。

今回は、下記内容の口碑を『原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版』から紹介します。

  • 大淡上方様(おおあわのうわかたさま)の国造りの発端は日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ)による透視
  • 本家と分家という仕組みを作られ国を護る
  • 古事記に最初登場する神様と神通力

初代大淡上方様の国造りの発端は日抱御魂鎮による透視

“日抱御魂鎮”を現代の言葉にすると「祈りの精神統一」が適当かとおもいます。

山本健造氏は、ろうそくの炎をジィーと見つめながら深い精神統一に入る訓練を長年行う事で1~10の数字を書いたカード500枚から他者が任意に20枚選び伏せて20枚を透視しピタリと当てる事ができました。

福来友吉博士(1869-1952)は、大正2年に著書『透視と念写』を発表しています。

人間には透視能力が備わっているが、現代は使わないから退化したと推察されます。

以下は山本健造著(1997)「日本のルーツ飛騨」福来出版pp12-15の口碑から抜粋

口碑を”結月ゆかりさん”の音声で聞けます。
親子で聞いてみましょう。

飛騨は涼しくて、食べるものが豊富にあり、人々は大自然や先祖に感謝をして、
”日抱御魂鎮”(ひだきのみたましずめ)をして平和で幸せな生活が長い長い間続いたのです。

今から約2500年前のころ、大淡上方様(おおあわのうわかたさま)と申し上げる、賢くて、とてつもなく神通力を持ったお方が旗鉾(はたほこ)の奥の方にでられました。

大淡上方様は深く深く日抱御魂鎮をして、
「先祖代々このかた、皆、平和で幸せで仲良く暮らしてきたが、これから将来海から上がって来た人たちが暴れたり、喧嘩したりする事が起きてくるだろう。
(日抱御魂鎮で未来を透視)

今までは、ただ仲良くしてきただけでよかったがこれからは団結して固まってゆかねば幸せを守ることはできない」と考えました。
いざと言うときに備えて国造りをせねば

山本健造著(1992)「明らかにされた神武以前」福来出版pp90-91口碑を抜粋

大淡上方様がのう、日本の国を、あのころは日本とは言わなかったのだが、日本の国を末永く立派に保つにはどうしたら良いか、外国に侵略されないようにするにはどうしたらよいか、いろいろとご心配下されたそうじゃ。あのころにのう・・・・
偉い御方よのう。
そして、国内のあちこちに使いをだされたのだ。・・・

二千年以上続いている建国ビジョンは日抱御魂鎮文化から

口碑では、日抱御魂鎮を行って一番の大神通力者であり皆から敬わられた大淡上方様が、行く末を見通す神通力(未来の透視)によっていずれ海から上がって来た人達が暴れたり、喧嘩したりするとはっきりわかったのです。

我々の先祖は本当に尊い方々であり、みんなが末永く幸せに暮らせるためにはどうしたらよいかと日抱御魂鎮を行って考えたと思います。

日抱御魂鎮は「祈りの精神統一」であり大自然に感謝し先祖に感謝しみんなが幸せになるよう祈る。

これは、今でいう宗教とかの範囲に収まるものではなく、日本の精神文化だと私は考えます。
何処の国も真似ができない、日本人の精神文化であり世界に誇れる文化だと思います。

 本家と分家という仕組みを作り国を護る

大淡上方様が国造りを始める

原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版より

日本人のルーツを考えたとき、
日本に伝わる本家と分家というシステムがどういう背景から出来たかを知ることも必要です。

古事記には書かれていない、口碑として伝わっている内容を紹介します。

山本健造著(1992)「明らかにされた神武以前」福来出版pp91-92口碑を抜粋

口碑を”結月ゆかりさん”の音声で聞けます。
親子で聞いてみましょう。

「飛騨に現れた大淡上方様は、自分の子供を飛騨の要所々々に住まわせられた。
そして孫や曾孫に命令されて下界に遣(つか)わされたんじゃ。

今で言うと富山、長野、新潟、秋田、山形、福井、それから岩手、瀬戸内海の方まで行ったらしいぞ。

命令を受けて行った者もあり、若い者が元気を出して、大勢が固まって、若い女を連れて知らん間に行ってしまった者もあったそうだ。

そうやって行った者達の中には、時々帰って来て知らせる者もあり、行った切りで帰って来ない者もあり、どこまで行ってしまったやら分からん者もおった。

そうそう、青森の方まで行った連中のなかに、材木で筏(いかだ)を作り、海へ出ているうちに流されてしまって北海道に流れ着いて、とうとうそこに住み着いた者もあるらしいという話じゃ。

それから年月が流れてのう。
だんだん温度が下がるにつれて、西の方へもだんだんと広がって行ったんだ。

大淡上方様は子供や孫や部下の者に、常に国を守って立派にすること
そのためにはまとめ役をする人によく仕えて団結すること、
将来のことを見通して大きな希望を持ってやりぬくこと等々を教えられてのう。

子は孫にまた孫にと子孫は受け継いたんじゃ。

大淡上方様には子が大勢おられてのう。
一番賢くて一番神通力の強い末っ子の御方が大淡上方様の跡を継がれて、他の兄弟は、区別をするために姓をもらって分家(あぜち)をしたんじゃ。

大淡上方様も生前は上方様と申し上げて、上方様の家は代々名字が無うて、分家をするときに苗字をもらったんじゃ。

代々の上方様は一人一人名前をよう覚えておらんが、末っ子や女の人に賢い人がよく出られてのう。

先代に分家した者、先々代に分家した者、兄や姉も皆、上方様上方様と敬い申し上げてのう。
よくお仕えしてのう。

また上方様は皆の者を可愛がって下されてのう。
総本家の上方様を中心にまとまっておったんじゃ。云々。」

長野産矢じり北海道で出土(東奥日報H28.5.31)

「飛騨の口碑」が正しい証明。長野産矢じり北海道で出土(東奥日報H28.5.31)

老翁の家に伝わる第15代 淡上方様の御遺言

第15第淡上方様による国造り

原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版より

日本人のルーツとして飛騨に伝わる口碑は、
先祖様方が如何にして国を造り護ってきたかの史実でありまとめ役を中心に皆がまとまってきた民族であることがわかる。

山本健造著(1992)「明らかにされた神武以前」福来出版pp115-117口碑を抜粋

口碑を”結月ゆかりさん”の音声で聞けます。
親子で聞いてみましょう。

老翁(山本健造氏に飛騨の口碑を託した語部翁)は涙を抑えながら言葉を詰まらせ次のごとく語られるのでした。

「大淡上方様以来、あぜち(分家)をする者は苗字をもらって独立していったが、大淡上方様の跡取りは代々上方様と申し上げて、上方様の家には苗字がなかったんじゃ。

そして十五代目の上方様が淡上方様で、孫に皇統命(すめらみこと)を授けて、自分も一緒に宮村へ下りられる時に、
乗鞍のふもとに孫の一人に上方の苗字を与えて、後々まで家を守るように申しわたされたことは既に話したが、実はその中に大事な大事な御遺言がわしの家に伝わっておるんじゃ。

それはのう
「淡山のふもとに生き物がわいて、それからずーっと後に人間が現れて長い長い時が流れてきた。

そして大淡上方様以来、淡上方様まで皆の者を治める役目をしてきた。そしてこの後もずーっと皇統命(すめらみこと)が、その役目を果して日本をまとめていくことになる。

しかし、その後は大きく世の中が変わっていくだろう。

そういう時が来たときは、皇統命(すめらみこと)が日本を治めなければならぬということは決してないので、日本の国が立派になり皆が幸せになるために、
より賢いよくできる立派な人に国を治めてもらえばよい。

とにかく、
大淡上方様や上方様の役をさせてもらった人の願いは日本を守ること、皆の者を幸せにすることなのだ。

立派な人に国を治めてもらえばよいのだ。
そういう世の中が必ず来るだろう。

その時にこの日抱御魂鎮めによって、総本家の上方を後に皇統命(すめらみこと)を縦の軸にして仲良くまとまってきた証として、

苗字のない皇統命(すめらみこと)のお血筋を、やはり飛騨で生まれて、大淡上方様以前の先祖様方はどこが本家か分家か分からぬが、みな飛騨で生まれて、

日本中に広がっていった者の子孫で、皆同じお血筋であるのだから、尊いまとめ役を受け継ぎまた子孫に受け継がせ、尊く仲良くまとまってきた証の皇統命(すめらみこと)のお血筋を守ってもらいたいんじゃ。

日本人の縦の軸(時間線)の証として、世の中が大きく変わって、国を治める政治の形が変わったり世の中のあり方が変わっても、飛騨で生まれて広がっていった日本の者、

また日本の土地に住む者、みな皇統命(すめらみこと)のお血筋を守り続けてもらいたい。

この上方家の尊い歴史を決して忘れることなく、世の中が大きく変わってくるまでに日本中の皆に知らせよ
と、御先祖の方々からのお願いなのじゃ。

淡上方様は、わしらの想像もつかぬほど偉い御方なんじゃのう。

遠い過去のことから遠い未来のこと、世の中が移り変わっていくことを、ようく分かっていなさったんじゃ。

わしはこういう大事な大事なことを先祖代々語り伝えて、父様から繰り返し繰り返し教えられてきたが、今は危ない時世なので、悲しいことにわしらの子はどの子も、今のところ話す気になれんのじゃ。

そのうち時期をみて話すが、先祖の書いたものに、私の思いを書き添えておかねばとは思うがのう。

この重大な言伝えを、万一わしの代で断っては、御先祖様に申し訳が立たんでのう。山本よ、どうか頼むぞ」
と頭を下げられたのでした。

古事記に最初登場する神様とは宇宙の法則だった

「古事記 03 現代語訳」より抜粋

古事記には、「天地のはじめ」とあり
「世界のはじめにまず神々の出現したことを説く。

これらの神名には、それぞれ意味があって、その順次に出現することによって世界が出来てゆくことを述べる。

とくに最初の三神は、抽象的概念の表現として重視される。
日本の神様のうちもっとも思想的な部分である。」

と前置きされ、この世界の一番始めの時に、天で御出現になった神様は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とあり、次が高御産日神(たかみむすびのかみ)、

次の神様は神産日神(かむむすびのかみ)、そして泥の中から葦(あし)が芽を出してくるような勢いで物によって御出現になった神様は、宇麻志阿志詞備日古地神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に天常立神(あめのとこたちのかみ)です。

皆、御独りで出現してすぐにお隠れになったと書いてあります。
竹田常泰著「古事記完全講義」では、この場面を『一番最初に「現れましたぁ!」「隠れましたぁ!」「以上!」(笑)』と簡潔に説明されています。
(なかなか的確な表現です)

上記の神々様は前置き通り、「思想的な部分(神様)と見るべきです」
山本健造氏は、神通力で大勢の病を治した神通力者でありその原理を探る研究を生涯されました。
神通力者であるから理解できる最初の神々様の意味を山本健造氏の六次元弁証法から考えてみます。

日本人の先祖は矛盾のない自然観・死生観・哲学をもっていた

山本健造著(2003)「宇宙統一理論の試み」福来出版のP242を抜粋

日本人の自然観を神で表す

山本健造氏は十歳のとき神秘解明にあこがれ、十六歳の時、福来友吉著「透視と念写」を読み、世俗の神秘と云う現象の奥には、

神秘と云う文字がいらない世界がある筈であると思い、それを解明するために一生を捧げる決心をかためたのです。

そして、満十八歳七ヶ月の時、水田のあぜぬり作業中、考えがまとまったのです。
それが六次元弁証法です。
(山本健造著(1977)「六次元弁証法」福来出版)より

六次元弁証法を私なりに簡単に説明させてもらえば、
「物事なり問題等を考えるとき矛盾がない最善の考えや真理というとことを理解するには、空間的(縦・横・高さの三次元)と時間を加えて四次元、エネルギーを加えて五次元、方向(人の心の場合は志向)を加えて六次元。

空・時・力(エネルギー)・方向(志向)の四つの方面から考え観なければ解らないという哲学です。

人間は、唯物論に偏ったり、唯心論に偏ったり、唯時間、唯エネルギーと言う具合に偏った観かたをする習慣(癖)を持っていることに気付いている人は少ないのです。

図の中で周りの四神とは宇宙を構成する法則を神格化したものです。
これら四神をまとめる神として天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)がおかれています。

大宇宙の真ん中の神と言う意味です。この天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は空寂(くうじゃく)の神であって自己主張して叫びかける事のない神となっているのが特徴です。

西洋の叫びかける神とは著しく対照的です。
(山本健造著(1977)「六次元弁証法」福来出版)より

何時からとなく、日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ)を行い心を鎮めて考える事で大自然に

流れる法則や死生観を日本の御先祖様方は矛盾なく悟っていたから神通力の世界を悟り、

皆が幸せになる哲学を悟っていたと思います。

まとめ

山本健造著(1992)「日本起源の謎を解く」ジャケットの写真より

石冠を持って飛騨から大移動飛騨の大奥の語部(かたりべ)が、飛騨の大自然の成り立ちと生物の発生について、先祖からの口碑を語られたが、それが今日の科学の発見と全く合致するのに驚くのです。
「明らかにされた神武以前」より

石冠に先祖の祈りをこめて第1回目の民族移動、飛騨を中心に東北方面からも発見されました。
大淡上方様以前の移動と推察され口碑と合致します。

御物石(びょうぶついし)に先祖を祀る風習に変わって、この石に先祖を祀り第2回目の民族移動、縄文晩期と推定。
御物石の半数は飛騨より発見される事をみると飛騨が日本の中心とする口碑はただしい。

皇統家(すめらけ)は征服者ではなく大和民族の総本家

口碑では、「皇統命(すめらみこと)の家は大きな城も構えず堀もつくらずのう。
皆の者が幸せであるように神にお祈りされて、また皆の者は心から敬ってお仕え申し上げてきたんじゃ。
どこの国にも、城も堀もない所に治める人が安気に居れることはないのじゃ。」
と語られています。

大和民族(日本人)は、皇統命を中心にまとまり末永く立派な国になるよう力を合わせて国造りをはじめられ、そして侵略されないよう国防を怠らなかったからこそ現在があると思います

コメント

  1. 征服民族ヒムカイト より:

    記紀にあるとおり日本人のほとんどはヨーロッパからの征服鉄器民族ヒムカイ・ト(東:日本orアーリア:イル:倭奴)である。土着の国つ神や縄文人(アイヌ)ではない。
    武士の最大の武器は、家系〈名乗り)であり、ほとんどは源平+藤原氏。
    土着の勢力がいたとしても、上記皇別氏族、天孫氏族から婿を迎え男系としては上流の勢力から消滅していったはずである。
    先住民族の国つ神を名乗るのは平安時代でわずか1%。あとは、帰化人と蝦夷くらいである。天皇が特別の存在だからと言って、天皇の子孫が特別なのではない。もっとも、ぽぴゅらーなのである。

    • 山下住 より:

      征服民族ヒムカイト 様へ

      コメントありがとうございます。
      貴殿の「記紀にあるとおり日本人のほとんどはヨーロッパからの征服鉄器民族ヒムカイ・ト(東:日本orアーリア:イル:倭奴)である」は、記紀のどこに載っているのでしょうか?
      ご研究は自由ですので私からは以上です。

  2. 日本民族の本流はコーカサス高原の印欧系 より:

    縄文人はアイヌ民族であり。日本国の誕生には全く関係ない。日本列島で強大な軍事力が誕生するはずはないのである。古事記、日本書紀にある通り3000年前、遠いところから軍事侵攻してきたアーリア鉄器民族の国家なのである。
    遺伝的多様性は世界中から多種多様な民族がやってきたのが原因ではない。極東ヨーロッパからアナトリア(トルコ:イズモ)、ゴビ砂漠、満州朝鮮、日本列島と東征に従って征服下の先住民と外戚関係をむすんできたのである。そのうちの一つがユダヤ人であり、影響を与えたとしても多くいる外戚のうちのひとつである。本流はコーカサス高原の印欧系日本民族である。ウラルアルタイ語は日本語とアジア諸語のクレオール言語ぐんである。アングロ系英単語をローマ字読みすると大和言葉に近くなるのは証拠である。軍事国家機密である、刀剣製造技術を東アジアでは日本だけが持つのも朝鮮語で「イルボン」(イルはイランと同根)すなわち「本当のアーリア国家」と封語句のいうのも証拠の一つである。明らかに、民族差別である中国の蔑視記事をうのみにし、論じてきた考古学者たちの非論理的な学説は笑止千万である。
    クリスマスの原点となる、大嘗祭とは天皇がアーリア人の王となる儀式であり、単なる感謝祭ではない。アーリア人の支配地域の名残は「名前」を表す語がname,namu,namae等となっているのでわかりやすい。西は英米、南はエジプト・エチオピア、南東はインド・インドネシア、太陽信仰にとって聖地である東は日本である。日本列島に首都が移ることは必然であり、統制力の緩んだ大陸の多人種からなる残存同胞、領土が消滅するのも必然であった。

    • 山下住 より:

      日本民族の本流はコーカサス高原の印欧系 様へ

      コメントありがとうございます。
      貴殿の「縄文人はアイヌ民族であり。」とありますが、飛騨の口碑には「気候の変動で涼しいところを求めて飛騨から北へ向かった人たちが大勢いた。
      また青森まで行った者もいたし、青森から筏(イカダ)を作り海に出てそのまま流され北海道まで行って戻って来ない人達もいた」と伝わっています。
      (山本健造著「明らかにされた神武以前」福来出版 p91~参考)
      なので、大和民族が後にアイヌ民族と言われたとも考えられます。
      『アイヌ語の研究家として著書も多く有名な富山県の間方徳松氏著『アイヌ語は日本語の源』の中に詳しく、現在私共が日常使っている言語の源を尋ねると、アイヌ語に帰着すると、多数の実例をあげて論じてあります。』(山本健造著「日本起源の謎を解く」福来出版 p270引用)

      貴殿の「日本列島で強大な軍事力が誕生するはずはないのである。」とありますが、古事記・日本書紀には神功皇后の三韓征伐の話があります。
      軍事力と言う表現はニュアンスが違う気がします。
      国防の為に大和民族が立ち上がったと言うお話です。
      貴殿の「日本列島で強大な軍事力が誕生するはずはないのである」は、何を根拠にしているのかが解りません。
      参考に山本健造氏が若いころ白髪翁から聞いた、籏鉾神社(はたほこ)の「籏鉾」となった経緯を山本健造著「明らかにされた神武以前」福来出版p97~から引用致します。

      『三韓征伐のとき現れた飛騨淡郷(ひだあわごう)にいます先祖』
       白髪翁は更に次のごとく語り続けました。
      「大淡上方様(おおあわのうわかたさま)から数えて十五代目ぐらいの御方に傑物が出たんじゃ。
      大変な神通力者であったそうじゃ。山本よ、お前のやるような神通力や未来を見透すことがよくできてのう。
      淡上方様(あわのうわかたさま)と申し上げてな、それはそれは偉い人が現れたんじゃ。
      山本よ、お前も知っていると思うが、『日本書紀』の中になあ!仲哀(チュウアイ)天皇の御世に九州の熊襲が反抗するので征伐しても、すぐ勢いを盛り返して攻めて来るので、同じことの繰り返しで果てがないので、捕虜をよく調べて見ると、朝鮮から応援に来た者がほとんどであったんじゃ。
      朝鮮を叩かねば日本は朝鮮の占領の下敷にされ、殺されたりすることははっきりしているが、朝鮮を攻めても負ければ大変な事になるので、一心に身を清めてお祈りされたんじゃ。
      神功皇后様が建内宿禰(タケウチスクネ)を審神者(さにわ)にして祈っておられること七日も続き、へとへとになった頃、出られた神が『吾や、尾田(ひだ)の吾田節(あたくし)の淡郡(あわごおり)に所居神有(いますところのかみな)り』と申されたのじゃ。
      尾(ひ)は尾(ひっぽ)で『シッポ』が『シッポオ』となり、今日では尾(お)と読むが、尾は『ひ』と読んだのじゃ。
      尾田は『ひだ』と読むのじゃ、吾田(あだ)は乗鞍のふもとの広い土地をいう。
      今でも吾田野(あだの)という土地の名が残っている。
      その中の一部に淡郷(あわごおり)があるのじゃ。
      そこに居ます神が新羅を攻めたらよいか、やめたらよいか迷いに迷うた時『姫よ海に出て髪を洗って天を仰げよ。そのとき髪が真ん中より二つに分かれたら、その髪を男の髪に結い海を渡ってゆけ。
      まんいち髪が乱れたら、出ていってはならぬ』と申されたのじゃ。
      節は『櫛(くし)』であり、ここでは節(ふし)とは読んではならぬ。
      昔は櫛八姫(クシヤヒメ)とか、櫛玉姫(クシタマヒメ)とか、櫛岳(クシダケ)と奇(クシ)の意味に使われた言葉でのう!『神通力のある人の住む里』を意味しているのじゃ。
      神功皇后様が申された通りにされると、髪が真っ二つに分かれたので、男装されて新羅へ五百の船を従えて行かれたのじゃ。
      神功皇后様が三韓征伐から帰られて、部下に朱塗りの竿(さお)と旗を持たせて、淡郷(あわごおり)の日抱宮に朱塗りの竿を一杯立てて戦勝の御報告と感謝のお祭りをされたのじゃ。
      年が経つに従い布が腐って落ちてしまったが、朱の竿だけが何本か立っていたので、ここらでは竿のことを旗竿(はたほこ)と言ったので、それでここら辺を旗鉾と言うようになったんじゃ。
      わしの父様はなあ『日本の歴史の中で、この時は九州に熊襲がすでに大勢上陸していたので、若狭の事件をうわまわる一番危ない時じゃったんじゃ。先祖に守っていただいた。
      神功皇后様も、一致団結して皇后に従っていった兵士も皆偉かった。

      そのおかげで今日があるんじゃ。
      あの時うっかりすると朝鮮の属国になるところだったのだ』と言われた。『この話は何回もよく聞いたもんじゃ。』
      話がえらい飛んでしまったなあ。
      淡上方様は今ある乗鞍神社のずーっと上に住んでおられてなあ!頂上ではないが、下から見ればずうっと上の方だが、頂上から少し下りた水の便のよい、広い平らな所に淡上方様、その当時は上方様(うわかたさま)と申し上げたのじゃが、上方様の家があり、その前に家を造ることを許されたのが御前(おんまえ)、御前の東の方向に家を造ることを許されたのが上手(かみて)、さらに東の方に東出(ひがしで)、御前から西の方に家を造ることを許されたのが中西(なかにし)、それより西に許されたのが大西(おおにし)といった。それが時代が下ってずうっと下の方へ下りて来て、御前が尾前(おまえ)、かみで、上出、神出、中西、下出、霜出、大西、上西などと名乗って、今もあちこちに広がっているんじゃ。
      淡上方様の住んでおられた所へ、父親に連れて行ってもらったが、この頃は良い所であったろうが今はもう大木が茂っているなあ!天気の良い日を選んで一日山本を連れて行って教えるでのう」と言われましたが、一度も行くことなく次の赴任地へと変わり、今となっては残念です。

      山本健造氏は、飛騨の口碑が本当か作り話かを見極めるために全国を実施調査に歩いた結果、飛騨の口碑は、記紀より正確で神話やおとぎ話ではない史実であると確信し著書にしました。
      「ただそう思う」だけで著したのでは無いことを理解して頂きたいと思います。

      貴殿の研究は、貴殿の研究として継続してください。
      私は私の研究で継続いたします。
      日本は、自由研究ができる素晴らしい国です。
      それもこれも、先祖の方々が国防を忘れずに国を守って来たからです。
      有難いことです。

      私からの返信は以上です。貴殿のコメントすべてに答える事が出来ず申し訳ありません。