古事記より詳しい口碑、日本の国造りから見える精神文化

大淡上方様による国造り

原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版より

日本人のルーツや日本の起源について、飛騨の山の奥深い所に先祖代々口碑として伝わっていたことをご存じでしょうか?

古事記』や『日本書紀』は、神話化されおとぎ話のように書かれているため、何処までが史実かが分かりにくいです。

しかし、飛騨に伝わる口碑は、古事記や日本書紀よりも具体的現実的な史実として語られています。

世界最古の国であり二千年以上も一つの国家として続いていることは人類の奇跡と言う人がいます。

ところが、飛騨に伝わる口碑によると奇跡で二千年以上続いたのではなく、上方様(うわかたさま)を中心として皆がまとまり国を侵略から護ってきたから今の日本の国があると解りました。

日本人が知らない、日本人のルーツを飛騨に伝わる口碑から紹介します。
口碑を知ったあとで古事記を読むと古事記のボカされている所がわかります。

なぜ、おとぎ話化して史実をボカすのか?
その理由を「古代被差別部落とは」のカテゴリーとしてまとめました。

今回は、下記内容の口碑を『原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版』から紹介します。

  • 大淡上方様(おおあわのうわかたさま)の国造りの発端は日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ)による透視
  • 本家と分家という仕組みを作られ国を護る
  • 古事記に最初登場する神様と神通力

初代大淡上方様の国造りの発端は日抱御魂鎮による透視

“日抱御魂鎮”を現代の言葉にすると「祈りの精神統一」が適当かとおもいます。

山本健造氏は、ろうそくの炎をジィーと見つめながら深い精神統一に入る訓練を長年行う事で1~10の数字を書いたカード500枚から他者が任意に20枚選び伏せて20枚を透視しピタリと当てる事ができました。

福来友吉博士(1869-1952)は、大正2年に著書『透視と念写』を発表しています。

人間には透視能力が備わっているが、現代は使わないから退化したと推察されます。

以下は山本健造著(1997)「日本のルーツ飛騨」福来出版pp12-15の口碑から抜粋

口碑を”結月ゆかりさん”の音声で聞けます。
親子で聞いてみましょう。

飛騨は涼しくて、食べるものが豊富にあり、人々は大自然や先祖に感謝をして、
”日抱御魂鎮”(ひだきのみたましずめ)をして平和で幸せな生活が長い長い間続いたのです。

今から約2500年前のころ、大淡上方様(おおあわのうわかたさま)と申し上げる、賢くて、とてつもなく神通力を持ったお方が旗鉾(はたほこ)の奥の方にでられました。

大淡上方様は深く深く日抱御魂鎮をして、
「先祖代々このかた、皆、平和で幸せで仲良く暮らしてきたが、これから将来海から上がって来た人たちが暴れたり、喧嘩したりする事が起きてくるだろう。
(日抱御魂鎮で未来を透視)

今までは、ただ仲良くしてきただけでよかったがこれからは団結して固まってゆかねば幸せを守ることはできない」と考えました。
いざと言うときに備えて国造りをせねば

山本健造著(1992)「明らかにされた神武以前」福来出版pp90-91口碑を抜粋

大淡上方様がのう、日本の国を、あのころは日本とは言わなかったのだが、日本の国を末永く立派に保つにはどうしたら良いか、外国に侵略されないようにするにはどうしたらよいか、いろいろとご心配下されたそうじゃ。あのころにのう・・・・
偉い御方よのう。
そして、国内のあちこちに使いをだされたのだ。・・・

二千年以上続いている建国ビジョンは日抱御魂鎮文化から

口碑では、日抱御魂鎮を行って一番の大神通力者であり皆から敬わられた大淡上方様が、行く末を見通す神通力(未来の透視)によっていずれ海から上がって来た人達が暴れたり、喧嘩したりするとはっきりわかったのです。

我々の先祖は本当に尊い方々であり、みんなが末永く幸せに暮らせるためにはどうしたらよいかと日抱御魂鎮を行って考えたと思います。

日抱御魂鎮は「祈りの精神統一」であり大自然に感謝し先祖に感謝しみんなが幸せになるよう祈る。

これは、今でいう宗教とかの範囲に収まるものではなく、日本の精神文化だと私は考えます。
何処の国も真似ができない、日本人の精神文化であり世界に誇れる文化だと思います。

 本家と分家という仕組みを作り国を護る

大淡上方様が国造りを始める

原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版より

日本人のルーツを考えたとき、
日本に伝わる本家と分家というシステムがどういう背景から出来たかを知ることも必要です。

古事記には書かれていない、口碑として伝わっている内容を紹介します。

山本健造著(1992)「明らかにされた神武以前」福来出版pp91-92口碑を抜粋

口碑を”結月ゆかりさん”の音声で聞けます。
親子で聞いてみましょう。

「飛騨に現れた大淡上方様は、自分の子供を飛騨の要所々々に住まわせられた。
そして孫や曾孫に命令されて下界に遣(つか)わされたんじゃ。

今で言うと富山、長野、新潟、秋田、山形、福井、それから岩手、瀬戸内海の方まで行ったらしいぞ。

命令を受けて行った者もあり、若い者が元気を出して、大勢が固まって、若い女を連れて知らん間に行ってしまった者もあったそうだ。

そうやって行った者達の中には、時々帰って来て知らせる者もあり、行った切りで帰って来ない者もあり、どこまで行ってしまったやら分からん者もおった。

そうそう、青森の方まで行った連中のなかに、材木で筏(いかだ)を作り、海へ出ているうちに流されてしまって北海道に流れ着いて、とうとうそこに住み着いた者もあるらしいという話じゃ。

それから年月が流れてのう。
だんだん温度が下がるにつれて、西の方へもだんだんと広がって行ったんだ。

大淡上方様は子供や孫や部下の者に、常に国を守って立派にすること
そのためにはまとめ役をする人によく仕えて団結すること、
将来のことを見通して大きな希望を持ってやりぬくこと等々を教えられてのう。

子は孫にまた孫にと子孫は受け継いたんじゃ。

大淡上方様には子が大勢おられてのう。
一番賢くて一番神通力の強い末っ子の御方が大淡上方様の跡を継がれて、他の兄弟は、区別をするために姓をもらって分家(あぜち)をしたんじゃ。

大淡上方様も生前は上方様と申し上げて、上方様の家は代々名字が無うて、分家をするときに苗字をもらったんじゃ。

代々の上方様は一人一人名前をよう覚えておらんが、末っ子や女の人に賢い人がよく出られてのう。

先代に分家した者、先々代に分家した者、兄や姉も皆、上方様上方様と敬い申し上げてのう。
よくお仕えしてのう。

また上方様は皆の者を可愛がって下されてのう。
総本家の上方様を中心にまとまっておったんじゃ。云々。」

長野産矢じり北海道で出土(東奥日報H28.5.31)

「飛騨の口碑」が正しい証明。長野産矢じり北海道で出土(東奥日報H28.5.31)

老翁の家に伝わる第15代 淡上方様の御遺言

第15第淡上方様による国造り

原著者=山本健造/編集者=山本貴美子「日本のルーツ飛騨」福来出版より

日本人のルーツとして飛騨に伝わる口碑は、
先祖様方が如何にして国を造り護ってきたかの史実でありまとめ役を中心に皆がまとまってきた民族であることがわかる。

山本健造著(1992)「明らかにされた神武以前」福来出版pp115-117口碑を抜粋

口碑を”結月ゆかりさん”の音声で聞けます。
親子で聞いてみましょう。

老翁(山本健造氏に飛騨の口碑を託した語部翁)は涙を抑えながら言葉を詰まらせ次のごとく語られるのでした。

「大淡上方様以来、あぜち(分家)をする者は苗字をもらって独立していったが、大淡上方様の跡取りは代々上方様と申し上げて、上方様の家には苗字がなかったんじゃ。

そして十五代目の上方様が淡上方様で、孫に皇統命(すめらみこと)を授けて、自分も一緒に宮村へ下りられる時に、
乗鞍のふもとに孫の一人に上方の苗字を与えて、後々まで家を守るように申しわたされたことは既に話したが、実はその中に大事な大事な御遺言がわしの家に伝わっておるんじゃ。

それはのう
「淡山のふもとに生き物がわいて、それからずーっと後に人間が現れて長い長い時が流れてきた。

そして大淡上方様以来、淡上方様まで皆の者を治める役目をしてきた。そしてこの後もずーっと皇統命(すめらみこと)が、その役目を果して日本をまとめていくことになる。

しかし、その後は大きく世の中が変わっていくだろう。

そういう時が来たときは、皇統命(すめらみこと)が日本を治めなければならぬということは決してないので、日本の国が立派になり皆が幸せになるために、
より賢いよくできる立派な人に国を治めてもらえばよい。

とにかく、
大淡上方様や上方様の役をさせてもらった人の願いは日本を守ること、皆の者を幸せにすることなのだ。

立派な人に国を治めてもらえばよいのだ。
そういう世の中が必ず来るだろう。

その時にこの日抱御魂鎮めによって、総本家の上方を後に皇統命(すめらみこと)を縦の軸にして仲良くまとまってきた証として、

苗字のない皇統命(すめらみこと)のお血筋を、やはり飛騨で生まれて、大淡上方様以前の先祖様方はどこが本家か分家か分からぬが、みな飛騨で生まれて、

日本中に広がっていった者の子孫で、皆同じお血筋であるのだから、尊いまとめ役を受け継ぎまた子孫に受け継がせ、尊く仲良くまとまってきた証の皇統命(すめらみこと)のお血筋を守ってもらいたいんじゃ。

日本人の縦の軸(時間線)の証として、世の中が大きく変わって、国を治める政治の形が変わったり世の中のあり方が変わっても、飛騨で生まれて広がっていった日本の者、

また日本の土地に住む者、みな皇統命(すめらみこと)のお血筋を守り続けてもらいたい。

この上方家の尊い歴史を決して忘れることなく、世の中が大きく変わってくるまでに日本中の皆に知らせよ
と、御先祖の方々からのお願いなのじゃ。

淡上方様は、わしらの想像もつかぬほど偉い御方なんじゃのう。

遠い過去のことから遠い未来のこと、世の中が移り変わっていくことを、ようく分かっていなさったんじゃ。

わしはこういう大事な大事なことを先祖代々語り伝えて、父様から繰り返し繰り返し教えられてきたが、今は危ない時世なので、悲しいことにわしらの子はどの子も、今のところ話す気になれんのじゃ。

そのうち時期をみて話すが、先祖の書いたものに、私の思いを書き添えておかねばとは思うがのう。

この重大な言伝えを、万一わしの代で断っては、御先祖様に申し訳が立たんでのう。山本よ、どうか頼むぞ」
と頭を下げられたのでした。

古事記に最初登場する神様とは宇宙の法則だった

「古事記 03 現代語訳」より抜粋

古事記には、「天地のはじめ」とあり
「世界のはじめにまず神々の出現したことを説く。

これらの神名には、それぞれ意味があって、その順次に出現することによって世界が出来てゆくことを述べる。

とくに最初の三神は、抽象的概念の表現として重視される。
日本の神様のうちもっとも思想的な部分である。」

と前置きされ、この世界の一番始めの時に、天で御出現になった神様は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とあり、次が高御産日神(たかみむすびのかみ)、

次の神様は神産日神(かむむすびのかみ)、そして泥の中から葦(あし)が芽を出してくるような勢いで物によって御出現になった神様は、宇麻志阿志詞備日古地神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に天常立神(あめのとこたちのかみ)です。

皆、御独りで出現してすぐにお隠れになったと書いてあります。
竹田常泰著「古事記完全講義」では、この場面を『一番最初に「現れましたぁ!」「隠れましたぁ!」「以上!」(笑)』と簡潔に説明されています。
(なかなか的確な表現です)

上記の神々様は前置き通り、「思想的な部分(神様)と見るべきです」
山本健造氏は、神通力で大勢の病を治した神通力者でありその原理を探る研究を生涯されました。
神通力者であるから理解できる最初の神々様の意味を山本健造氏の六次元弁証法から考えてみます。

日本人の先祖は矛盾のない自然観・死生観・哲学をもっていた

山本健造著(2003)「宇宙統一理論の試み」福来出版のP242を抜粋

日本人の自然観を神で表す

山本健造氏は十歳のとき神秘解明にあこがれ、十六歳の時、福来友吉著「透視と念写」を読み、世俗の神秘と云う現象の奥には、

神秘と云う文字がいらない世界がある筈であると思い、それを解明するために一生を捧げる決心をかためたのです。

そして、満十八歳七ヶ月の時、水田のあぜぬり作業中、考えがまとまったのです。
それが六次元弁証法です。
(山本健造著(1977)「六次元弁証法」福来出版)より

六次元弁証法を私なりに簡単に説明させてもらえば、
「物事なり問題等を考えるとき矛盾がない最善の考えや真理というとことを理解するには、空間的(縦・横・高さの三次元)と時間を加えて四次元、エネルギーを加えて五次元、方向(人の心の場合は志向)を加えて六次元。

空・時・力(エネルギー)・方向(志向)の四つの方面から考え観なければ解らないという哲学です。

人間は、唯物論に偏ったり、唯心論に偏ったり、唯時間、唯エネルギーと言う具合に偏った観かたをする習慣(癖)を持っていることに気付いている人は少ないのです。

図の中で周りの四神とは宇宙を構成する法則を神格化したものです。
これら四神をまとめる神として天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)がおかれています。

大宇宙の真ん中の神と言う意味です。この天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は空寂(くうじゃく)の神であって自己主張して叫びかける事のない神となっているのが特徴です。

西洋の叫びかける神とは著しく対照的です。
(山本健造著(1977)「六次元弁証法」福来出版)より

何時からとなく、日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ)を行い心を鎮めて考える事で大自然に

流れる法則や死生観を日本の御先祖様方は矛盾なく悟っていたから神通力の世界を悟り、

皆が幸せになる哲学を悟っていたと思います。

まとめ

山本健造著(1992)「日本起源の謎を解く」ジャケットの写真より

石冠を持って飛騨から大移動飛騨の大奥の語部(かたりべ)が、飛騨の大自然の成り立ちと生物の発生について、先祖からの口碑を語られたが、それが今日の科学の発見と全く合致するのに驚くのです。
「明らかにされた神武以前」より

石冠に先祖の祈りをこめて第1回目の民族移動、飛騨を中心に東北方面からも発見されました。
大淡上方様以前の移動と推察され口碑と合致します。

御物石(びょうぶついし)に先祖を祀る風習に変わって、この石に先祖を祀り第2回目の民族移動、縄文晩期と推定。
御物石の半数は飛騨より発見される事をみると飛騨が日本の中心とする口碑はただしい。

皇統家(すめらけ)は征服者ではなく大和民族の総本家

口碑では、「皇統命(すめらみこと)の家は大きな城も構えず堀もつくらずのう。
皆の者が幸せであるように神にお祈りされて、また皆の者は心から敬ってお仕え申し上げてきたんじゃ。
どこの国にも、城も堀もない所に治める人が安気に居れることはないのじゃ。」
と語られています。

大和民族(日本人)は、皇統命を中心にまとまり末永く立派な国になるよう力を合わせて国造りをはじめられ、そして侵略されないよう国防を怠らなかったからこそ現在があると思います